倉敷地域自立支援協議会


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テーブルまび会議録詳細

テーブルまび2015年度 第7回ミーティング
会議日時
平成27年10月11日(日) 13:00〜
テーブルまび2015年度 第7回ミーティング

■ 日時:2015年10月11日(日)13:00〜15:00
■ 場所:真備公民館 箭田分館 集会室
■ 参加者:マインドD、当事者u、当事者v、当事者I、当事者w、当事者k、マインドB、一般の人K、一般の人Kさん友人A、一般の人Kさん友人B、当事者F、りーだー、当事者V(敬称略)

―近況報告と自己紹介の後、作業所についての話からスタートし、その他、多くの貴重なお話が出た後―

リーダー:隠さんといけんのと、隠さんでもエエ場所があるのは、大きな違いなかなと思う。こうやっていろんなことを話し合って、本当だったら言いとうないようなことでも、昔から僕らこうやっていつも語り合いをしとるから、しんどうなった時にもお互いのことがよう分かるんで、配慮もできるし、つながれとんじゃと思うねえ。やっぱり。

当事者F:今日はじめて来られとる方もおられるんで、何か、言いたいことがあれば、どうですか。

一般の人Kさん友人A:私、初めてなんですが、私は、高校の時から心療内科に通っているんですが、それが親からの暴言だったり、学校のいじめだったり、で、それから病院も、いろんなところに行きましたが、根本的には良くならずに今に至っていて、何か、前より悪くなってる部分もあるし、まあ良くなろうという気はあるし、良くなっている部分もあるんですが、やっぱり、自分が人並みに人生を歩めなかったという思いがあって、親への恨みとか・・・、今、親には、全然、会わないようにしてるんですが、やっぱり、その恨みみたいなものが、どうしても、ちょっと出てきてしまって、何かすごく苦しくなるんですけど、皆さんは、そういう事はないですか?

リーダー:恨みつらみ・・・。

一般の人Kさん友人A:恨みつらみです。すごく、良い感情じゃないですけど・・・。

リーダー:あるでなあ。いろんな恨みつらみがあるよなあ。

当事者k:僕も恨んだことあったけど、ある時から・・・、幸せっていう字、漢和辞典で調べると「罪が許されて、幸福になること。」とあるんです。みんな罪を背負っていると思うので、みんな幸せになってくれたら嬉しいなって思うんですけど、恨みつらみを持ってるとしんどいでしょう。やっぱり、それをこう、まあ、難しいと思うけど、それをねえ。・・・ちょっと自分の中の人たちの声を聞いてください。
(我々ね、もともとそういう心を持ってるの。・・・・私は恨みつらみをいっぱい持ってるの、今でも。でも、それを抑えることを努力しようと思ってる。・・・私、みんなのこと好きなの、だから、一回みんなのこと好きになって・・・。どんな宗教でもいいから、どんな形でもいいから、助けを求めてほしい。・・・最後は、必ず、幸せにしてやるから、安心してほしい。)

マインドB:助けを求めるの、良いよなあ。

リーダー:結構、みんな、いろいろ抱えながら、生きてはるような、そんな気がしますなあ。

当事者v:いろんな人と話すことで、気が紛れたり・・・。何やろ、思い切って話して、意外な結果があるかもしれない。

一般の人K:今、彼女はいろんなところに、今日もね。こういうところに来てみたいと思われてね。こうやって、いろんな人との出会いが、以前より、違った出会いが増えておられて、本当に、今、当事者kさんがおっしゃったように、助けを求めるとか、甘えるとか、愛されるとか・・・そうすると、さっきの話の中にあった「愛してもらったら、愛せるんです。」っていう話が出ましたよね。そういうことって、決して、ご両親とかとの関係だけじゃなくて、もっと他の人たちとの中でも、培っていけるものがあるので、それは、多分、すぐすぐできるものじゃないけど・・・、そういうつながりがみんなの中でできていったらいいなあと・・・思ったりは、しています。

リーダー:こんな語り合いを始めて、もう7、8年です。 最初の頃、語って、俺がテープ起しをしたら、それは絶対に世の中に出してはいけない言うて・・・なあ、当事者Fさん。「いいや、わしゃ絶対出す。」言うて・・・半年ぐらい闘い続けて・・・。あの頃、ほんと最初のころですよねえ。なかなか、こう、人前で、自分のことをさらす、語るのって勇気のいることなんですけど・・・。でも、少しずつ、分かってくれる人が、一人でも二人でも増えてくると・・・「まあ、いいか」みたいな・・・。

当事者v:誰かの期待に応えようと思うのは、しんどいと思う。何やろ、それが、親であるかもしれんし、まあ、他の先輩やら、人やら、友達やら、そんなんもあると思うんですけど・・・、あの、やっぱりこう、自分はどうかというのを問い直してみて、自分は本当にそれを望んでいるのかとか、その人の期待ってのは、叶えたときに自分はうれしいかとか、ちょっとそれを問い直してみる期間、ちょっと、その期待をされてる人と距離をちょっと置いて、考えてみることも、一つなんちゃうかなっと・・・思うんですけど・・・。

マインドB:斎藤ひとりさんがねえ、「寒い夜に寝てました。トイレに行きたくなりました。誰か行ってくれますか?自分でしか行かないでしょ。だから、自分を一番大切にしてください。」いう話をされてたんです。結局、人じゃないんです。自分ですよ。自分をいかに好きになるかだと思うんです・・・。僕も、うちの病院の人に聞くんですよ。「自分のこと好き?」って、そしたら、ほとんどの人が、嫌いっていう人が多いですね。だから、自己否定から入ってる気がする。何でもいいから、自分を好きになることよ。

一般の人Kさん友人A:どうやったら、好きになれるんです?親からも嫌われて育ってきたし、身内にも、そういう自分のありのままを受け入れてくれる人が誰もいなくて、そんな中で、ずっと育ってきて、何か、こう否定ばっかりされて育ってきた時に、どこを好きになればいいのか・・・いうのが・・・。分かるんですよ、自分を好きになるのが一番だなって、でも、なかなかそれができない。で、そして、また、自分を傷つけてしまう。その繰り返しなので・・・、何か・・・。

マインドB:人って、やっぱ、死にますよねえ。僕も、両親も亡くなったんだけど、亡くなる前、どんだけ厳しい人であっても、亡くなる前って、赤ちゃんみたいになってしまうんですよ。その時に、やっぱり、あの、いろんな気持があっても、もう介護するしかないんですよねえ。生きてるうちに憎まれ口をきいてても、必ず、そういう時期ってくるので、そういうこと思うと、まあ、順繰りだと思うけど、やっぱり、今の同年代の人たちとたくさん、友達というか、親しくなっておくというか、両親とは、20~30年の年の差がある、それはやはり、考え方が違いますよ。考え方が違うのに合わせようとするから、しんどいんじゃないかなあと思うんです。子供のころは、両親に好かれるという気持ちを持ってればいいけど、だけど、ある程度、大人になってきたら、社会から自分がどう好かれるかという存在になればいいんじゃないかと思うんで、もう、両親のことはあまり思わないというか・・・、まあ、介護する時期になったら、わかると思うんですけど・・・。

一般の人Kさんの友人A:やっぱり、こういう精神的な病気を持っていたら、周りは、分からないんですけど、なんかこう、付きあっているうちに何かこう「えっ。」みたいなことがあって、離れて行く感じってパターンで、一人の大人になったんだから、周りと・・・と言われるけど、周りとも、うまくいけていない自分がいて・・・。何か、そこら辺で、本当にいつまでたっても、一人の人間として、地に足をつけれないところがあって。苦しい苦しいで、責めて・・・。

当事者v:自分に甘くするとか、自分へのほめ言葉を言うてくれる人とか。事情を話して、よく聞いてくれる人に、言葉をかけてもらったりしたことの、かけてくれた言葉の、いい事を信じて・・・、悪いことは省いて行ったら・・・、どうですかねえ。そうしたら、ちょっとは、好きになれるんかな…と思うんですが。

リーダー:この中で、自分を好きな人?(会場:くすくす笑い)・・・僕なんかでも40代ぐらいまで、ストイックというか、激しかったですねえ(笑)、なかなか自分が好きになれなくて・・・。やっと、マインド始めて、そういう意味では、マインドのみんなに救われたんです。精神病院のケースワーカーだったんですけど、その頃は、もっと殺伐とした顔しとったように思うんです、「これえではダメだ」とか「もっと○○しなけらば」って。でも、だんだんねえ、みんなとマインドやって、日曜日になったら、そこの掘立小屋に籠って、一日ゴロゴロして「うひゃひゃひゃひゃ。」言い出してから、だんだん、だんだん、この13年ぐらいの間に、僕自身が救われてきたような気がするんです。なぜなんだろうって、よくわかりませんけど・・・。でも、やっぱりそこに一緒に居った人たちのおかげやなあと思います。

マインドB:嫌なことをずっと頭で覚えてたら、脳神経細胞がそこにばっかり集中するから、やっぱりねえ・・・、その辺で、ホルモンバランス変わってくると思う。笑顔ってねえ。鏡に向かって、自分に笑顔作るんです。そうしたら、笑いって、表情筋から、良いホルモンが出るそうですよ。だから無理をしても笑う。それと、年をとるとともに忘れてきます。55ぐらいから・・・かな。

リーダー:俺、55じゃし。

一般の人K:私、65、だんだん忘れてくるし、できることも、できなくなるし、忘れることも、良いことの一つであるかなと思えてきます。ねっ、流せれるようにっていうのがね。それはやっぱり、Aさんなんかもね。期待をされ続け、非難をされ続けてきたときに、それに応えたいっていう、ね。本当に、優しくて、真面目で、相手に合わせたい、その気持ちに合わせたいっていうのがね、やっぱり自分の中なんですよね。それを、ご自分でも分かっておられるんですが、どうしょうもなくって・・・。でも、どうしようもないことは、本当にどうしようもないなあっていうのは・・・ありますよねえ。

リーダー:どうしようもないことばっかり、抱えてますよねえ。みんな、どうしようもない人ばっかり、私だけじゃない。

一般の人Kさんの友人B:私は3つの時、母親亡くして、小学校4年生の時に、義理の母が来たんですけど、その人が体罰と言葉の暴力で、ずっと育ててきて、本当はこれから心が成長するって時に、蓋をされてしまったんです。私も陽に出ればよかったんですけど、陰に籠って、誰にも、母から体罰されたり、いろんなことされてることを、父親にも姉にも、誰にも言わなかったんですね。今、こういう風に、6年前から難病になって、陰の方ばっかりが、火山の爆発みたいに、爆弾のように露わに出てきたなあと思って。で、よくそういう母を許せるなあとか、今、私も自分を好きになる努力をしている最中なんです。で、今、母が、ホームに入ってるんですが、毎週行ってて、「よく行くね。」と人から言われるんですが、でも、認知症も入ってるんですが、私の名前だけ覚えてくれてるんです。で、そういう母でも、今「ありがとう。」っていう言葉が返ってくるんです。

マインドB:人ですよ。親子じゃなくて、人間だから、できるんですよ。

一般の人Kさんの友人B:高校の時なんかは、早く死ねばいいのにって思ったり、この人死ぬ時に「ありがとう。」って言えれば、この人はまだ救われるなあって日記に書いてたんですが、今、「ああ、この母、救われるなあ。」って思ったり、自分がこういう大きな病気になって、精神障害、ステロイドでなったと言うけど、私は、小さい時から、こういうトラウマを持ってたなあ、って、それが今、露わに大きく出てきて、それの今、修正かなあって、トラウマを克服していく、それこそ、年を取れば、心が磨かれて、良い方にやっていける、そういう機会を与えてもらったのかなあと、そうしないと、こういう場にも来られなかったし、こういう風にみんなと・・・、やっぱ、病気になって、何年かは、健康な人とも会えなくなったし、友達とも話がだんだん合わなくなって、ついていけないし、元気な人と・・・。で、一般の人Kさんには、ずっと支えてもらって、やっぱり出会いって大きいなあって思います。私も19の頃には、カミソリ持って歩いてたなあって・・・。その時にも、人との出会いがあって、生きてて、死ななくてよかったなあって、生きててもこういう後遺症持ってるとしんどいし、大変だし、でも、どん底に落ちたら上がるしかない、これを何度も繰り返して、また何時落ちるかわからないけど、生きとけば、必ず這い上がる。というのが、長年繰り返してると、体験として、少しずつわかってきて、落ちてる時はすごく苦しいんですけど、それを繰り返しながらいろんな人との出会いを、こういう場に来さして貰ったりとか、自分自身が変わらせて貰えているんかなって、思っている最中です。

リーダー:大嫌いで、良いじゃないか。でも、大嫌いだとしんどいから。でも、一緒に居てくれる、仲間がいれば、ちょっと違うんだなあ。ここは、そんな仲間がいるとこかなあと、僕は思うてます。

―この後も、しばらく、しみじみとした雰囲気で話し合い、第7回のテーブルまびは、終了しました―

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