テーブルまび2016年度 第5回ミーティング |
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テーブルまび2016年度 第5回ミーティング
■ 日時:2016年8月14日(日)13:00〜15:00 ■ 場所:Beerまび ■ 参加者:当事者D、一般の人G、当事者s、当事者R、学生1、学生2、学生3、大学A、学生4、学生5、学生6、当事者A1、マインドD、当事者x、マインドE、当事者k、実習生1、当事者E、リーダー、当事者p、当事者p父、当事者j (敬称略) ― 自己紹介と近況報告の後 − 当事者R:やっぱり、何歳になっても自分なりの目標持たにゃあいけんと思うんじゃ。目標持って生きていかにゃあおえんと思うんじゃ。 当事者s:何かやることがあるというのは、大事ですよねえ。若い頃って、仕事とか恋愛とか結婚とかって、先に目標とか夢とかが色々あるじゃないですか、それがだんだん年をとって、病気だとか、仕事で失敗して辞めたりとかして、特に精神障害って、仕事だとか家族も影響されてとか、友達関係とか、どんどんどんどん失っていって・・・。私も、自分自身の目標とかを見失ってしまって、出来ない、出来ないっていうのが、どんどん、自分の中でしんどくなって、これから先の生きがいっていうのがないっていうのが、一番しんどかったかもしれない。でも、そんな大きなことじゃなくても、普段の生活の中でも、少しでも楽しみとか、何かいいこととかを築けるようになると、少しは、先に光があるかなあと思えるみたいな感じに思えたり。躁鬱なんで、ちょっと希望が見えても「あー、駄目だ。」みたいのがあるんで、そう安定は出来ないんですが、大きなことではなくて、小さなことで、少しずつ、日常の中で楽しみを見つけていくのがいいのかなっと、最近は、思えるようになりました。 当事者k:僕なんかは、楽しみとかが全くない状態だって、テレビも面白くないし、音楽聴いても響かんし、何しても面白くないというか、何のやりがいも生きがいもないような状態になってたんですが、それが病気のせいなんかわからないんですが、まあ、かなり辛かった時もありました。でも、少しづつ回復してくると、元気になって来るというか、気持ちもねえ・・・、考え方そのものが変わって来るというか、どうしようもないと思っていたのが、「まあ、やってみようかなあ・・・。」っていう風に変わってくる。 当事者s:やっぱり、マインドがあるから、私なんか、引き籠っていても、作業所に行きたいというのがあって、マインドの人は、私のことを知っててくれるから、会いたいというのがあって、あるから、外に出れる。というのが大きかったと思います。特に、今回は・・・。 リーダー:しんどい時、動けんですもんねえ、実際。当事者kさんなんかは、一時、薬の副作用みたいなんで、陰性症状みたいなんで、何をする意欲も無くなって動けんかったですもんね。(ええ。)今は、ねえ、すごく皆さんを助けてくださる、頼りになる、マインドを支えてくださっとる。 当事者s:お互いに支えあってるいうのが、何か、いいなあって思う。 当事者R:僕なんか、しょうがないから自分で本読んで調べて「精神分裂病でしょう。」いうて医者に言うても、医者が、中々薬をよう変えんのです。でも、一歩一歩、一歩一歩、一歩一歩、やってきたら、上に上がってくるようになりましたねえ。やっぱし、違いますわねえ・・・。 リーダー:当事者Rさんなんか、若い頃から、いっぱい、いっぱい苦労されて来られとるから、今、その境地に至られたみたいな・・・。今までのいろいろな経験や積み重ねの中から導き出された、今があられるんでしょうなあ。 当事者k:経験してみないと解らない。リーダーさんなんか、今までの大勢の方から学ばれてるんでしょうけど、僕なんか、「統合失調症」だけじゃなく、「鬱」もあったと思うんです。本当に気持ちがポキッと折れて、もちろん、みんなしんどいんだろうけど、やる気とか起こそうとか、頑張ろうと思うことができなくなるんです。だから、本当に辛くて、本当に何もできない状態になっちゃって・・・。まあ、色々考えても、何もできない状態だったんですけど、学生さんたちは、「統失」とか「鬱」とか、どういう風に学ばれているんですか?どう接して良いかなんてのは、もう学ばれているんですかねえ? 当事者A1:大まかなことは学んでるんですが、個人個人のことは、こういう場で直接聴かないとわからない部分があって、苦しさとか気持ちとかあんまり知らないです。 当事者R:京大の先生とか、よう患者のことを分析して、よう知っとりますわ。患者の深層心理をなあ、感心しますわあ。よう分析して、指摘してなぁ。ズバッと当てるんよ。で、逃げ道をスパッと封じられるんよ。東大とか、京大の先生はよう見とるわあ。 当事者s:言っても、お医者さんに知識で言われると返せないですよね。言い返せない。自分のことなんだけど、言い返せない。訴えても、「精神」ってのは、心は、お医者さんでもわからない部分があるじゃないですか。 当事者R:そうじゃなあ。医者も経験者じゃないんじゃから・・・。「統合失調症」、こういう症状がある、こういう症状がある、こういう症状がある、いうのを暗記するわけよ。どこの医者も、最初は、全部暗記するンよ。それが出発点よ。それから、いろんな人と接してなあ。少しずつわかっていくンよ。 リーダー:今の当事者Rさんの話を聴かして貰うてると、やっぱり、お医者さんなんかも、だんだん、だんだん、育てられてくるんでしょうねえ。いろんな人とお会いして、いろんな苦労を聴かして貰うて、失敗をして、お医者さんもそうやって、育てられるみたいな・・・。当事者xさん、何か思われることないですか? 当事者x:僕も、最初は何にも出来ない。すべて、自分が悪い、妄想とかもあって、とにかく、自分が何かできるようにならんといけん。脅迫観念みたいなものがあって、まあ、それで、何かができるようになろうと思うて、とりあえず、仕事かなあ思うて会社勤めしたり、色々してあるいてみたりして、葡萄に落ち着いとるんですけど、葡萄も、もう年齢的にか体力的にか、出来んようになりつつあって、妹に譲ろうかなあと思うて、その方向で行ってる途中なんですが、僕の場合は、比較的、病気の最中からでも、たとえば、仕事が出来んかったりしたことが多いんで、とりあえず、仕事が、人並みにはできるようになろうという目標があったんで、その辺は楽でした。目標があったので・・・。 リーダー:目標があった分だけは・・・(救いでした。)救いだったんですね。(ええ。)でも、それをやっていくのは、とても大変じゃと、それなりにとても大変じゃと思うんですが・・・。 当事者x:大変で、大変で、両親から罵倒ばあされてから・・・、手首を三分の一の深さに切るくらい、自殺未遂したこともあるし・・・、もう、七転八倒いうか・・・で、今があると思います。 リーダー:それでも、目標がないよりは、まだ良かったんじゃないかと・・・(そうです。そうです。)ねえ。目標って、そんなんも、人それぞれで、みな違いがあるやないですかあ。 当事者k:僕は、ほぼ、変わってきました、病状によって・・・。出来ない、出来ないで、どんどん下がっていって、回復すると、また少し、レベルアップして、結構、目標が何パターンかに変わってきましたねえ。 リーダー:自分に出来そうな目標にたどり着くまでに、しばらくおかかりになったいうことですかねえ。 当事者D:まだ、変わってる? 当事者k:今は、マインドで、社会的入院してる人の話を聞いたりすると、やっぱり、生活を取り戻すというの、素敵だなあって思うし、そういう仕事をやらしてもらう、携わることにやりがいを感じてるから・・・、それも一つの今の目標、後は、まあ、講演活動とかがあると、自分の体験が、少しでも役に立つなら、お互い様って、そういう人たちとのコミュニケーションが出来る場というか、まあ、一緒に遊んだり、話したりねえ・・・。 リーダー:すごいね。何か・・・。薬飲んで、その副作用だけでも大変なのにねえ。生きる困難をいっぱい抱えられて、でも、その中で目標を掲げられて、持つことも大切なんじゃなあ。 当事者k:自分たちはまだね、でも、まだまだ、声も発せられない方々がいっぱいおられると思うんで、真備にはこういう場があって、僕が病気であることを知ってても普通に接してくれていて・・・、真備の人たちは・・・、それは、先輩たちが築き上げてきたものだと思うんだけど・・・、ねえ、僕らが挨拶したら挨拶し返してくれて、そういう場、地域が増えていけばいいなあと思います。 当事者E:で、目標を持ってやっていく時に、自分のペースを守ってやっていくことが大事です。集中して思い切ってやる時も必要だけど、あんまり力が入りすぎると続かないんで、長期的に続くことも必要なんで、あんまりシャカリキにならないで、自分で自分のペースが掴めるようにやっていかないといけないと思います。自分に合ったやり方が掴めると安定してやっていけると思います。 当事者k:自分の目標って、一つ近づいていくと、また、別の目標が出てくるんですね。たとえば、地域の祭りとかイベントとか、「あーいうのがみんなと一緒に、子供も年寄りも障害のある方も皆さんで一緒になって、イベントとか行事ごととか色々やっていくのも、地域に溶け込んでいるんだ」っていう充実感もあって、また別個の目標として、ふっと出てくるようになってきました。段階的なんですけど・・・。そういう仕事もやりがいがあって良いなと思って、いろいろやってみたいなと思ってきました。 ― 中略 ― 当事者s:「 障害者虐待」っていう、言葉を聴いたり見たりするだけでも虐待を受けてますよねえ。小さな虐待を受けてる感じ。「障害」も人それぞれだと思うんです。私、まじめにコツコツとか少しずつっていうだけでもドキドキしちゃう。「躁鬱」って基本的にそういうのがあって、抑えすぎて、ストレスが溜まって、爆発するいうのがあると思うんですが、「障害」を良くするには、薬を飲んで、日常生活を整えてって言われるんですが、規則正しく、朝起きて、夜寝てください。って先生とかにもさんざん言われるし、薬もちゃんと飲みなさいって言われるんですが、出来てこなくって、「それはあなたの原因だ」って言われるんですよ。そうすると余計何かしんどくって・・・。何かもう自分が悪いって責められてるようで・・・。お医者さんに行く度に繰り返してきて、お医者さんに行くのがもう・・・。でも、行かないと良くならないし、家族にも「病院に行って薬を飲め」って言われるので・・・。自分でもある程度は、受け入れてるんですが、自分では治せないし・・・。自分が納得してないのに・・・それをやったからって、余計しんどくなるんですよねえ、自分の場合。そうやってどんどん、どんどん、今まで、別に何も考えずに自由にやってきていた心がどんどん狭まってきて、それこそ、ありのままの自分がわからなくなる感じで、すごく、しんどくなってくる。それを、そういう「障害」を持ってない人はわからないと思うんですよ。そのしんどさいうのは。 マインドの方は、それぞれ違うと思うけど、しんどさを解って貰える。同じようにしんどいものがあるので、まだ、言えるんですが、学生さんが言われてたように、ありのままの自分が出せないですよね。それで、どんどん追い詰められていく部分があって、これ以上言うと訳わからなくなるんですが・・・。すみません、ちょっと感情的になって・・・。 当事者R:病気になって、色々話すでしょう。そしたら「お前、甘えとる。」言われたり、「ナイーブ過ぎる。」言われたり、「もう帰ってくれ。」言われたり、色々しました。やっぱり、精神科の先生が20分でも30分でも話を聴いてくれるいうことと、こういう場を持ついうことでしょうねえ。やっぱり、解りません。病気のないものに精神病の苦しみを訴えても解りません。「何を甘えとるんじゃ。」言うて、精神病の苦しみを一般の人に理解してもらおういうても、解りません、そりゃあ。解ってくれえ、いうのが無理なんよ。 当事者E:それで、その時に、僕の場合は弾き語りで、若い頃、精神的な葛藤があった時に、それを歌って聴いて貰ったら、それが取っ掛かりになるんです。歌が。それで解って貰えた時は嬉しかった。拍手で迎えられた時はすごく嬉しかった。当事者Rさんも、ワーっと喋った時に、100%じゃなくても、70%、60%でも解って貰えたら嬉しいと思いません? 当事者R:その頃は、ひどいもんで・・・。解って貰ういうような段階じゃないんで・・・。ただもうフラストレーション、フラストレーション、フラストレーションの塊で・・・バア―っと、のべつ幕なし喋りょんよ。誰も聴いてくれるもんは居らんけどなあ。 当事者s:でも、年々増えてて、患者数が多すぎて、先生も「聴きたいんじゃけど聴けん。」って、言われました。予約を取ってないとこは、朝、受付しても、夕方まで待たなきゃいけん。待ってる時に精神的に疲れてしまう。それに疲れて行けなくなったいうこともあります。これからもっと問題になると思うので、当事者同士で何とかしていかなきゃいけんと思います。お医者さん任せでは回っていかない世の中になってて・・・、それをほっといたら、過激な行動に出る、人を傷つけてしまうような行動にでる方も居られる。少しずつでも、みんなで何とかしていかなきゃいけないんじゃないかなって、最近すごく思います。 当事者D:精神的にかなり状態が悪いと人を傷つけてしまったりとか、自傷他害とかの行為にいくってのもあって、よく事件があると「この人は精神疾患を持ってた」とか、「入院歴がある」とか言われるがぁ、あれって、半分勘違いな論調でもある。ホンマ、しんどい時は危ないっていう人も居るし、間違ってないと思うけど、実際俺も変なことしたこともあるから、解るんじゃけど・・・。 当事者s:やっぱり、周りの人が気づいてあげるとか、解ってくれれば、その人も救われる部分があるんだけど、解ってもらえないってのが爆発したら、人によって行動は違うだろうけど、自分に向かうか、関係ない人にまで向かってしまうか・・・、私は、すごく気持ちは解るような気がします。やったことに対しては、罪だけど、その状況になった場合に誰でもなるかも知れない。追い詰められた人を他の人が非難できることじゃないと思う。 当事者k:「藍(あい)」っていう映画のチラシに「こんな時代、精神病にならないやつの方が、おかしく思う。」っていうフレーズがあって、良いこと言うなって思いました。 当事者s:自分の本当の気持ちを、どこか置き去りにしてないと、見ないふりしてないと、今の世の中渡っていけない気がする。 当事者D:鈍い人が生きやすい世の中になってて、逆に、鋭い人が生きづらい世の中になってるなって思う。それは、多様性がないってことだから、生物的なあり方としては危険だと思う。特定の方向からにものすごく弱くなるから・・・。多分、鈍い人が多くなって、鋭い人が淘汰される世の中になると、危険に気づけなくなる。鋭い人なら、すぐ反応して対策が取れるけど、鈍い人ばかりだと手遅れになる。特定の人を排除していく考え方は、生物学的には非常に危ない感じがするなあ。相模原の事件でも、「重度障害者は居らん方がええ」みたいな考えが言われとったけど、逆に居った方が、世の中豊かになるという発想もしてほしいと思う。 当事者x:そうなんですよねえ。昔は、近所に朝から晩まで酒飲んで仕事もせずに・・・、そんな人でも権利が守られとってから、その人に酒飲ますためにちょっと仕事させちゃるみたいなことで、仕事をあげたり、金あげたりして、そういう人が許されとった時代じゃったんです、昔は。ところが今はそういう人らぁは施設に入りなさい入りなさいいうて・・・。なんか、生きづらいいうか、昔の方がおおらかじゃったなあって、ものすごく感じますよねえ。 当事者D:俺ちょっと昨日眠れなっくって、相模原の事件に関して調べよったら、あの事件は、あの加害者だけのことに限ったことじゃないみたいなこと書いてあって、「程度の差はあっても、一般の人の中にも障害者は邪魔だとか、お荷物になってるみたいな感覚は、みんな持ってる。」って書き出しからあって、障害者殺すなんてとんでもないって言うけれど、実際、施設は、ほとんど職員任せで、町から離れた森の中に有ったりして、口では言わないけど邪魔だって思ってる人もいて、それは誰の中にもあるんじゃないかな?って、だから、あの事件は、他人事として取るよりも、加害者が偏った考え方をしてるんじゃなくて、みんなの中の小さな「特異性とかを認めない。」中から、徐々に引き起こされたと書かれていて・・・。なるほどなあと、俺も思って・・・、じゃなかったら、もっと町中に障害者施設があっていいと思うし、「身体」も、「精神」も、「発達」も、「知的」の人も、もっと街中にあふれてて、みんなが受け入れる環境とか雰囲気だとかがあってもいいと思うけど、今、そんな雰囲気はあんまり感じられんし、現に「健常」といわれてる方々が、点字ブロックの上に平気で物を置いたり、車椅子専用の駐車場に車を止めたりするし、もっと社会全体が招いたことであって、あの人だけの異常性ではないなあと思って、論調と同じようなことを感じたなあ。 当事者A1:大切なのは、「障害」のある人のことを知ろうとすることだと思うんです。私は兄が「自閉症」で、小さい頃は暴力を受けたので・・・、それだって、兄が暴力を振るうには原因があったはずで、その原因を家族は知ろうとせず、一方的に押さえつけていたけど、なぜ、そういうことをしたのかを知って、理解しようとすることが大切だと思います。 当事者E:素晴らしい。僕が薬を辞めてる時があって、海に向かって、大声でしゃべってた時に、近くの人が「おじさん、何しょうるん?」言うて声をかけてくれて、訳を聴いてくれて、「そんなことがあったン。誰か聴いてくれる人は居らんのん?」言うてくれて、「居らん。」言うて、海に向かって独り言、言ようたんですが、社会で暮らしていく上では、独り言、言ようちゃあいけんと思うて、また薬を飲んだら、独り言は止まりました。怒る理由を聴いてくれたら、治まるいうことがあります。 リーダー:自分でどうすることもできん時、どうもこうもならんいう時ってありますよねえ。そういう時、傍に居る人がちゃんとその人の言うことを聴いてくれるか、決めつけずに、ちゃんとその人を丁寧に扱うてくれて、ホンマにちゃんと言うことを聴いてくれる人が、傍に一人でも二人でも仲間がおりゃあ、いんじゃないかなあ。 ―まだ、まだ、貴重なお話が続きました。参加の学生さんからも「仲間同士のつながりの大切さを自分で実感できたり、人とのつながりで発生する感情ということについてたくさん聴けて、すごい勉強になったと思います。」「自分の気持ちとかを喋って共有することで、ホッとするとか、相手を認め合うということが素晴らしいと思って、貴重な体験をさせていただいたと思います。」「本に書いてあることではなく、ご本人の気持などが聴けてとても感謝しています。」などの感想や感謝をたくさんいただきました。 |