倉敷地域自立支援協議会


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テーブルまび会議録詳細

テーブルまび2015年度 第12回ミーティング
会議日時
平成28年3月13日(日) 13:00〜
テーブルまび2015年度 第12回ミーティング

■ 日時:2016年3月13日(日)13:00〜15:00
■ 場所:Beerまび
■ 参加者:当事者D、一般の人G、マインドD、当事者N、当事者j、当事者F、当事者X、当事者xリーダー(敬称略)     

― 近況報告と自己紹介の後 ―

当事者x:僕は発達障害という言葉はよく耳にするんですが、さっき当事者Dさんからも説明してもろうたんですが、「よう解らん。」いうのが正直なとこで、どのようなもので、どのように接しさせてもろうたらえんかいうのを、出来たら教えていただきたいなあと思うて、今日は来させて貰いました。

リーダー:このあたり、発達障害とは、どのようなもので、どのように対応したらえんじゃろうか?いうことを教えていただけんかなあ、いうことですかなあ。

当事者D:さっきも話したんじゃけど、発達障害いうて、大きな括りがあるんですけど、その中に3つ特徴的なのがあって、一つはアスペルガーとか、自閉症と言われてる、コミュニケーション等に問題がある分と、ADHD、日本語で言うたら注意欠陥多動性障害いうて、まあ、よく動く、多動だったり、注意力が散漫だったりいうことで、エネルギーはあるものの、一つのことに集中するのが苦手だったり、それともう一つ、LD、学習障害。これは、特定の分野、数学だけとか、国語だけとかが極端に出来ない。別にIQが低いわけじゃないのに、数学で計算ができるし、社会で年号の暗記なんかも出来るのに、国語で特定のひらがなが書けない。とか、国語で難しい問題でも解答できるし、社会で歴史上の人物の名前も言えるのに、数学で、一桁一桁の計算ができないって風に、特定の分野だけが極端に出来ないいうのを学習障害と言います。こういう3つの特徴をまとめて発達障害いうんですが、この中の一つだけを持ってる人もいれば、複数のを兼ね備えてる人もいます。さっきも一般の人Gさんが「私も・・・」って言うてたけど、これ、誰でも持ってる傾向なんだけど、考え方としては、最近、呼び名が変わって、自閉症スペクトラム障害って言われるようになって・・・、スペクトラムって、全体がつながってて、強度の問題と捉えようという形になってるみたいで、誰にでもある傾向の中で、特に、極端に強すぎたりする、あるいは弱すぎたりするのを、最近は「発達障害」言うてるようで、誰にでもある傾向の中で、強すぎたり、極端だったりするのを障害と呼ぶようで、対応いうたら、結構、人それぞれあって、典型的な症状いうのもあるんですが、たとえば、さっきの自閉症で言ったら、俗にいう「空気が読めない。」とか、自分の興味があることに極端に集中してのめり込んでしまうとか、ってことが多いんですが、やっぱり、一般論は言えないと思いますね。ある程度は、発達障害の本とかで「こういう特性がある。」っていうのを知るのも重要だけど、「本人が、何が嫌か。何が得意か?」ってことを、僕は、本人と話して、出しやすい環境を作って、なおかつ、本人と一つ一つやりとりする中で、確かめていったり、相互の理解を深めたり、自分の理解を深めたりしていく関係性を作っていくことが重要かな?そこを根幹に置きながら、でも、音に敏感とかもあるから、まずは、本とか読んで、典型的な症状を学びつつも、個人個人のケースを共に学んでいくってことが、重要かなあ。実は、僕らも、発達障害同士でも解らんことが多いし、まあ、比較的近いなあと思う人であっても、症状が濃かったり、違う点も多いから、実は僕らもよう解らん。自分のこともよう解らんし、まして他人のこともよう解らんし・・・。みんな持ってる傾向いうのもあるから、一つ言えるのは、自分も当事者意識を持ってみるいうことかなあ。発達障害だけじゃなく、何にでもこれからの社会でいえることだと思うけど、自分が当事者の目線で物を見てみることかなあ、いくら頭が良くても、関わってるというか、渦中の人でないと解らんこともあるから、自分もそうなんじゃなっと思うと、自分が実験台になるから、自分の身に置き換えて考えると「こうだな、ああだな。」って、相手の気持ちが解ったり、相手の立場になって考えたり出来るかな?頭から押さえつけるんじゃなくて、ああ、今この人はこういうんだからこうなんじゃな?って、相手の行動原理が解ったりするんで、こうやったら、必ず、こうなる、良くなる、ってのはないから、つまり、特効薬はないけど、地道な作業の積み重ねでやっていけば、確実に理解できる。ここだけ失敗せんで、ぼちぼちやっていけば、いんじゃないかなあと僕は思います。(拍手)

リーダー:はあ、まあ・・・。補足くださる方・・・。当事者Xさんなんか、何か思われることないですか?

当事者X:まあ、補足も何も、今、言われていることは、凄いなあと思って聞いてたんですが、当事者でも自分のことが解らないってことはあって、人から言われて気付くってこともあって、これ、当事者じゃなくてもあると思うんですけど、これはやっぱり、大きいと思います。だから当事者の目線に立った上で、何というか、どうして行けばいいかって話をした方がいいと思います。

リーダー:ありがとうございます。当事者Fさん、時々「僕は発達障害かなあ?」言うて、まあ、いろんな病気になりたがるんで、言われていましたけど・・・いかがでしょうか?

当事者F:先生は、大人になってから「発達障害の診断は難しい。」言うなあ。特に小さい頃の状況が解らんから・・・、じゃけえ、僕が勧められたのは、大人になってからの発達障害いうか、生きづらさというか、本の題名は忘れたけど、まあ、生きづらさいうか、なんで、生きづらさにつながったンかいうのに、こういう障害もあるんよという、導入部分みたいな本を読んだけど、ちょっと違う部分もあったり、ちょっと合ってるとこもあり・・・。

リーダー:本、読んだん?ためになったん?

当事者F:読んだ。一応、発達障害いうのはこういうんじゃ。いうことが書いてあった。(僕はこうなんじゃいうのが、わかった?)うん。そういう傾向があるいうのはわかった気がする。

リーダー:さっき当事者Dさんが言うてくれた3群の話、あれがとっても解りやすい。特徴をよう言うてくださっとる。でも、自分もあてはまるんよなあ。度合いが、まあまあの度合いの人と、大きい人、それぞれの個性と言い換えても良いもんなんでしょうなあ。

当事者D:線引きが医療的に引かれてるだけで、医者によってもまちまちですが、その傾向はみんな持ってると思うし、逆に皆んな発達だと思っててくれる方が、理解が進むから、僕は嬉しい。だから、俺、あんまり、線引きするのは好かん。「私は違いますよ。」という人の方が、おかしい。

リーダー:私は、発達障害じゃないよ、なんて言ってるよりも、その人、一人一人の生きづらさは何なのかを聞かしてもろうて、皆でその人の嫌がることは出来るだけしないようにしようやあ、得意なところを探していこうやという、そういうことなんかなあというように僕は漠然と思うてます。

当事者D:だって、「障害イコール困ってる。」じゃなくて、障害があっても困ってない人もおるし、障害がなくても困ってる人もいる。問題は、障害があるから・・いう方向に持っていくことで、それって、現実とちょっと違う話だから・・・、困ってるって思ってる人が困ってるんだから、そこに寄り添えるってのが一番だと思う。

当事者N:いわゆるアスペルガー症候群といわれる人が隣に住んでます。彼にとって「俺は絶対。」になってるんで、それが自分では、いけないなあと思いつつ、でも、フォローしてあげないといけないなあと・・・。

リーダー:彼にとって、「自分がは絶対。」というのがあることによって、安心なんでしょうね。でも、なぜ当事者Nさんは、それがいけないとお考えになるのですか?

当事者N:俺がいなくなったら、困るでしょ。絶対の人がいなくなって・・・どうするんかなあ・・・・。

当事者D:当事者Nちゃん自体が「困って、嫌。」ってことは、ないんかな?(それは、ない。)

リーダー:ふつうは、そこで隣に住んどる人が「困って、嫌。」ってことになって、遠慮してしまうってことになるんじゃけど、当事者Nさんみたいな人ばっかりが隣に住んどってくれたら、エエわけじゃ。

当事者D:リーダーさんに先言われてしもうたけど、僕もそういう人が、沢山いれば、エエと思う。こうしろって言われて、出来るもんでもないし・・・。たとえば、車椅子の人に「自力で歩け」いうても、無理じゃけど・・・、足は見えるけど、精神的なものって見えづらいけど、彼にとっては、当事者Nさんが車椅子なんじゃないかな。問題は、車椅子の量を増やすことじゃないかな。車椅子なしで歩けってのは、俺らが今まで、やられてきたことだけど・・・「自分らぁで何とかできるようにせんといけんよ。」みたいな・・・、「一人で生活せんといけんよ。」・・・みたいなことは言われやすいことだから。俺は、それはどうかなあと問いかけとして思ったんだけど。

当事者F:当事者Nさん自身は、発達障害があると思う?

当事者N:自分自身は、全く、ないと思う。俺は、人間的に曖昧なんで・・・。

リーダー:マインドの中だけで見てても、こういう傾向で苦労してきた方が何人もおられるような気がするけどね。当事者Fさんがそうかどうかは解らんけどね。こう聞かれてきて、当事者xさんなんか思うところがありますか?

当事者x:基本「寄り添い」じゃと思います。ある程度の知識を得て、相互理解を深めていくことが一番じゃと思います。一番というか、解決策なんかなあと感じました。

リーダー:この前、箭田幼稚園で、当事者Hさんが話をしたがぁ。あの後、幼稚園のお母ちゃんらぁが来て、あの時のマインドの雰囲気がすごく優しかったから・・・、何時も子育てしながらも、若いお母ちゃん、とても余裕がないんだって、旦那は厳しい仕事行って、くたびれ果てて帰ってきて、子供たちは、走り回って・・・、家事もせなあかん、どうかすると、その中で、ママ友同士の付き合いも、とても難しんだって・・・、そんな中で「まあええやん。」いうて笑い飛ばしてるような、マインドのあの雰囲気が「とてもホッと出来たんです。」いう話でね。親子クラブみたいなものを自分たちの力で、堅苦しくない親子クラブを作りたいんだけど、マインドさん力貸してくださいませんか?いうて、来られたお母さんがおられます。ついこの間、ここで、試飲会やりました。(大笑い)「まあ、うちのビール飲んでみる?」いうて、箭田幼稚園に「ビラ配ってください。」いうて、先生とこ、持って行ったら、70枚配ったら10名くらいのお母ちゃん来てくれました。こういう付き合いが始まりつつあります。まあ、子供たちの世界も「わが子は発達障害ではないんか?」いうことで、お母ちゃんたちは戦々恐々としています。ちょっとでも「わあぁー。」と走ったら、皆が「わあぁー、発達障害じゃぁ。」いう目で見るんじゃ。そうなら、早期発見、早期治療。プログラムに乗せましょう、いうて・・・。幼稚園、保育園の段階から、療育センターみたいなところへ行きなさいいうて・・・。別ルートに乗せられるんよなあ。その子はなあ。それが今、倉敷は、とても多い。ある意味、そういう流れが進んどる。これって、その子にとってみれば、苦手な環境でないものを用意してもらって、そこで、いろんなことを学んでいったり、力を蓄えていったりしてくれるプログラムの場所に持っていかれるんじゃけど、その子たちがいなくなったこっち側って、いないのが当たり前みたいになって、みんな育っちゃう。それが18歳超えると、いきなり社会というところで「一緒にやりなさい。」いうことになるんじゃけど、本当に一緒にやれるんじゃろうか?ということを考えると、どうなんじゃろうと思います。僕は不安でならんのじゃけどなぁ。さっきの相互理解をしていく・・・、一対一で、顔が見える付き合いをしないと、その人のことが解らないじゃないですか。つまり、一緒に居る中で、その人とお互いを知り合おうという一つ一つの営みが大切なんじゃないかなあという気が僕なんかしとるんですけど。

当事者N:この前、俺、1日居らんかったんです。そしたら、彼は、一日俺を待ってたんですね。その前日に家にセールスの人が来たんです。俺は断れるからいいけど、おそらく彼は・・・。で、翌日、俺が帰ると飛んで来て「当事者N君大変なんだ。宗教・セールスお断りって書いてあるのに、セールスが来たんだ。これって、僕が悪い?」って言うんで、「悪くない。」「了解した。ありがとう。」って言うて・・・。それで、彼は、ちょっと安心するみたいで・・・。さっきリーダーさんが言われた、そういう顔の見える関係いうかなあ、それが大事になると思います。

一般の人G:さっき車椅子がたくさんあればいいということだったけど、私じゃ車椅子に成れないみたいで、当事者Nさんがスタッフを休んでる時、とっても当事者Nさんを待ってたんです。その時「あー、私じゃ駄目なんだなあ。」って、思ったけど・・・、私も車椅子になれるように頑張ります。1台より2台・・・。

当事者N:お願いします。俺が居らんかった1日というのは、彼にとって、ずっと不安に過ごしていたという、そんな感じです。

当事者X:やっぱり、障害だから・・・って、地域によっては、つまはじきにするところもあるんです。さっきの多リーダーさんの話じゃないですけど、この症状や、行動が起きたから、障害児だっていって外すんじゃなくて、一緒に、その行動をとった時に「どう困ったの?」って、言ってくれる人ってのは、とてもありがたいと思いますね。で、その中で、障害って悪いことなのかなって思ってしまったりするんですが、どうしても、自分個人として見られたいという部分と自分も障害を持ってるよっていう風に見られたいという部分があって、でもそれは全部個人の中でのことなんで、やっぱりこう、それがあるからその人であるってのを見てもらいたいんですけど、でも、何か、障害も性格と同じように千差万別で、その人の障害をどうみるかというのより、その子がどう生きていきたいかということを聞いた上でサポートが出来ていけたらいいと僕はとても思います。

リーダー:その子が、どう生きていきたいか?をサポートする。

一般の人G:それって、障害がなくても、発達障害がある子じゃなくても同じよね。

当事者X:はい。障害があろうが無かろうが、その子が「こうしたい。」言うたら、「こうしたいんだね。じゃあ、サポートしてあげるから、できるかな?」っていう問いかけをしてあげる。それで、「出来る。」っていう子もいれば、「ちょっと自信がない。」っていう子もいると思うんだけど、でも、やっぱり、してあげないことよりも、してあげたいと思います。

リーダー:でも、まあ、この言葉は巷をにぎわわせてますなあ。何か知らんけどなあ。で、当事者xさんも、ご自分を発達障害と思いますか?

当事者x:いやあ、傾向はあると常日頃から思うてますが、さっきの話で、たとえば70からが発達障害なら、僕は69ぐらいかなあと思います。

当事者D:さっき当事者Xさんが言うた様に「どう生きたいか?」が、重要だとおもうなあ。発達障害は、先天的な要素で決められるものだと言われたり、後天的なものだと言われたりして、親の育て方とか言われたこともあって、傷ついた親もいたけど・・・、原因はどうあれ、困ってることが同じなら関係ないし、過去のその人が何であるかを考えることも必要かもしれないけど、それは何のためかというと、将来を考えるためであって、本人が今、どういう能力を持ってて、何が苦手で、何をやりたいかっていう、そこだけを集中すればいんじゃないかなあ。

当事者N:凄いですね。僕、よくボタンが取れるんですよ。で、さっき話した彼は、裁縫が得意なんですよ。(おおぅ。)「ボタン取れた。くっつけてくれえ。」言うと、「わかった。当事者N君、そこで、じっとしといてくれ。ちょっと今話しかけないでくれよ。」って、ボタンを付けてくれるんです。さっきの車椅子の話だと、彼が車椅子の役目をしてくれることもある。お互いさまの世界だなっと思うんです。僕は隣に住んでて、そう感じます。

当事者X:だから、完璧な車椅子じゃなくても、いいんですね。どこかネジ一本抜けてたり、で、移動するときに「あっ、ネジが抜けちゃった。直すから待ってて・・・。」っていうような、代わりになってくれる人だったら良いですね。

リーダー:お互い様ねえ。実はそうなんだけどねえ。それが一方通行になっとるから、おかしいんでねえ。俺を含めて、マインドは、みんなデコボコで、でも・・・、ねえ・・・、すげえ。この間、「コトノネ」を読みよって、この漫画家さん(お金アレルギーの人が主人公の漫画)、震災やいろんなことがある中で、「思い通りにはならないけど、必ず何とかなる。」こういう形で、皆さんが生きとると、まあ人生いろいろあると・・・、思い通りにはならないけど、必ず何とかなる。「こういうの良いですよ。」って書いてある。これいいなあ、と思って・・・。

当事者N:まあ、住宅一つにしても完璧なところなんかない。そういうことですね。

リーダー:思うように行かんことが、いっぱいあるんですなあ。でも、「思い通りにいかんなあ。苦労多いねえ。あっはは。」言うとったら、案外思い通りになるような気がする。一人じゃ出来んですよ。

―この後、ビール(ささ)が、岡山の「あっぱれ大賞」に選ばれて、新聞に掲載された話になり、さらに物忘れから、認知症の話や3.11の震災の話から、社会保障費の削減へと話題が広がり、沢山の貴重なお話が出ました。中でも、震災関連の話題で「こちらから、何かしてあげるというのではなく、しんどい思いをした人や誰にも言えないような体験をした人にも焦点を当てて、話を聞いてあげてほしいと思う。どんな話でも出来るようなこういう場を作ってあげてほしい。」という提言が印象的でした。「皆さん、言えんことをいっぱい抱えてはるんやろなぁ。」と話しつつ、今年度の「テーブルまび」は、終了しました。―

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